東京事変「入水願い」を語る 切なすぎるストーリーにみる狂信的な愛
どうも、ウサミです。
皆さん、「東京事変」はご存知でしょうか。
僕は大変ご存知です。
特に今大変ご存知で、ご存知のプールに肩まで浸かっています。
「東京事変」とは、椎名林檎をボーカルに据えたバンドで、ほかのメンバーも各々が各々のステージで大活躍をしている、音楽性が確立した才人たちによって構成されていて、音楽のオールスターのようなバンドなんです。
2003年に結成、2012年に解散、と、「太く短く」輝いた伊藤智仁のようなバンドです。その高い芸術性とかっこいいコンセプト、魅惑のサウンドと色気のある椎名林檎のボーカルで、解散した今でもなお、根強い人気を誇っています。
僕は東京事変の超にわかで、椎名林檎はもともと東京事変としてデビューして、解散したのち、今は椎名林檎がソロでやってると思ってたくらいです。
※椎名林檎は’98年にソロデビュー
しかし『教育』という1stアルバムと出会って以来、猛烈なスピードで没頭して、ただいま絶賛大ハマり中なんです。
僕は一度ハマるとかなり「そればっか」になる人なんですね。
もちろん映画もミスチルもそういった感じでハマってきました。
身近な例でいうと、大学の学食で「辛みそラーメン」を「ライス 中」と共に食べることにハマりすぎて、「”いつもの”お願いします、って言ったらなにが出てきます?」と、学食のおばちゃんに聞いたら、その二つが出てきまして、バーとかでマスターに言う「憧れのアレ」が学校でお手軽に楽しめるほどでした。
なので、いま東京事変ばーっかり聴いてます。
僕、Mr.Childrenが大好きなんですが、ボーカルの桜井和寿って、「楽曲からストーリーが見えてくるような歌詞」をしばしば書くんですね。
僕は桜井和寿の作詞能力に魅了されたんですが、中でも、そういったストーリー性のある歌詞、というのが大好きなんです。
それは、何気なく聞き流していた歌の歌詞と改めてにらめっこした時、「あ!この歌詞って、なんかこういう感覚のこと言ってるんじゃないの?」「ここにつながってくるんじゃないの?」というような気付きが得られて、それが楽しいんですよね。
感じ方はそれぞれですが、僕は東京事変の歌詞もそういった楽しみにあふれていると思っています。
だからこそ、没頭できるくらいハマりました。
その中でも「東京事変好き!」ってなったキッカケの曲、それこそが
「入水願い」
という曲なんですよ。
1stアルバム『教育』に収録されているこの曲。
これ関して僕なりの見解を語ろうと思います。
あくまで僕なり、ですから、そういう聴き方もあるのね程度に思っていただければ幸いです。
1.そもそもタイトルがヤバい
そもそも「入水願い」ってすごいタイトルですよね。こんなワード太宰治でしか聞いたことないですよ。
”入水”とは水に身投げして自殺することです。要は「一緒に死んでくれ」っていうことですね。
タイトルを見ると、そこから逆算してその曲の世界観を想像しますよね。
このタイトルはその役をよく果たしていて、このタイトルによって聴き手の感情が動かされまくるんです。
まず、歌詞の世界観や展開を見事に想像させてくれます。
ちょっと文学ちっくな言葉のタイトルだから、おとなしい感じの曲かな、なんて思ってたら、サビで急にロック調に変化して、ガッと心をつかまれるんですね。そのギャップを生み出してくれます。
それでは、歌詞を見ていきます。
2.何かに押しつぶされそうな女性像
自分の世界を飛び出す勇気を持てた暁に 今まで吐いた下らぬ嘘を美化して下さる?
でも多分無理 疲労が超えてる
妄想ワールド全開でいこうと思います。あくまで僕の妄想世界ですからね。
きっと、主人公の、そうですね、「じゅす子」ちゃんという名の女がいたとします。
きっと彼女は自分の幼さを認めていたんだと思います。だからこそ、強がって思ってもないことを言ったり、嘘で自分を固めて武装していた。
もし、それらを捨てて大人になることができたとしたら、あなたはそれを「大人になるためのステップ」として飲み込んでくれるでしょうか…?
でも今の私には、嘘を捨てる覚悟もないのです。
じゅす子・・・ 仮に、じゅす子の相手を「ねが夫」としましょう。
じゅす子は相手に見合う女性になろうと健気に頑張る女の子なんです。
他人の期待を受け止める意思を持てた暁に 貫いてきた下らぬ倫理を認めてくださる?
また同じこと繰り返している
ねが夫も含め、きっと多くの人からいろいろ言われていたんでしょうね。
「もっと大人になれ」、と。
そんなことじゅす子は分かっていたはずです。でも、自分の考えを殺したくなかった。
あなたは遂に理解していただけなかったけれど、たとえ愚かでも、愚かなりに、何かを成し遂げて見せたかった。
そんな愚かな私の傍に、ねが夫さん、”あなたがいてくれれば”、なんて思っていただけなの…
ねが夫、おまえもっと、しっかりせえよ。じゅす子を傷つけたら許さんぞ。
天現寺発って 今日は房総半島へ
助手席に埋まったあなたの生命
如何にでもしてなんて云うなら 何だってしてあげたいけど あたしなんかで良いの
完全に入水前の様子ですね。でも僕はあえて、「入水はあくまで比喩であって、ほんとに入水するときの歌ではない」理論を提唱します。
実際、「一緒に死のう」っていうのを相手も受け入れてるっていうのは、あんまり想像しにくい。「助手席」とかのワードが出てくる現代の世界観とあまり一致しないのかな、と思っています。僕がガキなだけかな。
だから、入水⇒死ぬ⇒愛の終結 みたいな解釈をしてみました。
矛盾があったらご愛敬。
じゅす子の様子、言葉から「死」の匂いを感じ取った、ねが夫。
お前となら一緒に死んだっていいよ
ねが夫はそれくらい好きだよ、という意味で言ったんです。
本当に死ぬなんて思わないしね。
じゅす子はそれを真に受けたわけではないにしても、それくらいの気持ちをねが夫から感じられたのが、うれしかったはずです。
今日はお前の行きたいところに行こう
ねが夫はじゅす子にハンドルを託しました。
このまま本当に二人で死ねたら。
なんて、じゅす子が思っていると、じゅす子は、ねが夫の心の中がだんだんと見えなくなってきます。
3.愛の虚飾に気づく瞬間
あたしを殺して其れからちゃんと独りで死ねるのか
答えもしない子供の仮面をつけた鮮やかな瞳
もう一つの方 生きる方は如何
もし「二人で死のう」となったとして、あなたは本当に私を追いかけてくれますか?
あなたにはきっと、私の頭の中の「死」という文字がいかに鮮明に、強烈に光っているのかなんて想像もつかないのでしょう。
あなたの目からは死の匂いはしません。またきっと、そうやって茶化して、私の事を子ども扱いなさるのね。
あれ、入り込みすぎてめちゃくちゃ文学的になってきました。
僕が椎名林檎の手によって、いつの間にか女の子にされてしまいました。
僕の心の盛り上がりと読んでくださっている方のテンションが剥離していないことを願っています。
じゅす子の心とは裏腹に、ねが夫はそこまで深く考えてないのかもしれませんね。
哀しいかな、男の性。少しねが夫にも共感できてしまうのが悲しいです。
私と死ぬ気がないのならば。私と共に生きてくれるのですか・・・?
海浜公園 今日も月光に薄闇
助手席に照った 貴方の信号
コートの下を這っている両手は何にも掴めないでしょ 人違いじゃないかしら
あぁっ・・・!!
静かで月が輝く、夜中の海浜公園の画が浮かびます。外は真っ暗ですが、月光と人工物、そして信号機の明かりによって照らされているような感じです。
助手席に座ったねが夫に照る信号の明かり。信号が赤になるたびに、その赤い光が二人を包み、それがまるで二人の未来を表しているようでした。
ねが夫はじゅす子の身体を求めます。
しかし、その手に愛がないことを、じゅす子は気づいてしまうのです。
ねが夫にとってじゅす子は「一番のひと」じゃなかったからかもしれません。
もしくは、ねが夫がじゅす子の事を「慰み者」のような扱いをしていることに気づいたのかもしれません。そのあたり、あなたはどう感じますか?
あなたは私の身体を求めてきました。
あなたのその手が私の肌に触れたそのとき。その手が抱きしめている女が、私ではないことに気が付きました。
もちろん抱かれているのは私でありますが、”それ”は私ではありません。
貴方は私の事など見てくれて居無かったのですね。
貴方の目の奥に棲んで居る本当の女は、何処かに居る他の誰かなのでしょうか。
其れとも、そもそも私の様な女の本心など、貴方には如何だって良いものだったのでしょうか。
死を望む迄の愛、と云う物に潜む虚飾を知り、打ちひしがれた此の女に、生きる価値など在るのでしょうか。
すみません。自分の中で盛り上がりすぎて完全にキャラが変わっていますね。僕にこんな文学的な女性になりきる一面があったとは驚きです。
安心してください、下にスクロールしていくにつれ、めっちゃホラーな感じになって最後に怖い女の顔とかが出てくるどっきりサイトではありません。
ねが夫、おい!!!
お前浮気してたんじゃないだろうな、おい!!!!
もっとみてやれよ、じゅす子の事をよ!!!
※ここでねが夫の頬を殴る
大嫌いです
全部が厭です
賞賛したがっているあなたの嘘つき
今夜以降 こんな仕様もない女が生き存らえるなんて あられもないわ
自分が信じた愛、その虚飾に気づいたじゅす子は、ついに思いを吐き出します。
全てを嫌い投げやりになったまま身体を重ねるじゅす子。
ねが夫はきっとそれに気づかないでしょうね。彼が吐くうわべの言葉など、きっと何の役にも立ちません。
信じていたのに。こんなみじめに生きていくだなんて。
・・・どうぞ 殺って
じゅす子・・・
それでもお前は、ねが夫に命をゆだねるのか…
この苦しい世界で生きていくくらいなら、いっそあなたの手で死にたい。
4.じゅす子はいったいどうなったのだろう
ここでこの歌は終わりです。
果たしてじゅす子はどうなったのか。
田舎に引っ越して、実家のお弁当屋さんの看板娘として健気に働いているところまで椎名林檎が歌詞に書いてくれれば安心だったんですが、さすがにそうもいきません。
まさか、ねが夫が本当にじゅす子を殺したなんてことはないでしょう。ねが夫にそんな度胸があるとは思えません。
きっと、無様な姿だろうと、生きたんだと思います。
じゅす子は、この歌で歌われているほど弱い女性じゃないから。
この曲が収録された『教育』、ひいては東京事変の他のアルバムの曲を聴いていると、本当に力強い女性の姿、が浮かび上がってきます。
この曲を単体で聴くではなく、”『教育』の三曲目として”聴くことに意味があるんじゃないかなと思うんです。
この曲から、いろんな曲へと派生していく。もしくは、ほかの曲が、この曲に帰着している。そんな風に感じました。
例えば、『教育』の中でも「御祭り騒ぎ」や「母国情緒」といった力強い曲、一人の女性の姿が思い浮かぶ『大人』というアルバムなど、「入水願い」がアクセントになっていると考えれば何とも楽しくないですか?
椎名林檎が「女性はこうあるべき」というようなメッセージを突き付けているわけではなく、この壮大な物語のなかで、一つの芯のようなものを見せてくれているような気がするんです。
人の生き方なんて三者三様で、何かの型なんてないのだから、音楽の感じ方を一つに固定するようなナンセンスなことを東京事変がやるでしょうか。
この曲から始まるアルバムという作品の、無限に広がる楽しみの起点として。そこから聴き手が感じ取る無数のパワーとエネルギーの出発点として。
この「入水願い」という歌は素晴らしい活躍をしてるんじゃないかと思います。